【生年月日】1996年3月25日
【出身】大阪府
【血液型】O型
【身長】179cm
【体重】72kg
【好きな食べ物】エビフライ、海老天、エビマヨ
【好きなスポーツ】サッカー
【好きなアクティビティ】キャンプ、登山、旅
【趣味】
ポーカー、将棋、ツーリング
下記はありのままに書いているので、もしかすると嫌な気持ちになる方がいるかもしれません。
小学生時代
わんぱく坊主でした。
集中力や落ち着きがなくてとにかく先生に怒られていました。
小学6年生の時に初めて好きな子ができました。
中学時代
中学2年生までに2回停学をくらい、通知表は5段階評価でほぼ1or2でした。
とにかく先生の言うことを聞かないやんちゃな小僧といった感じでした。
中学3年生の時に急に態度を改心し、(このままだとさすがに俺ってやばいんじゃないかと思ったからです。)ほぼオール5の評価を取り地元でも有名な進学校に受かりました。
中学2年生まで何も勉強していない自分がなぜ進学校にいくまでになったのか。
それは、ただ単にとてつもない勉強時間を費やしたからです。
親に頼んで、地元で有名な塾に通わせてもらいました。
学校は8時半~17時まで。
そこから速攻家に帰って、塾に行き閉館の23時30分まで毎日自習室で勉強し、家に帰ってからも毎日夜中の2時ぐらいまでデスクに座っていました。
土日は少なくても1日12時間以上勉強するようにしていました。
それらの努力が功を奏し、学校のテストの全教科平均が95点ぐらいになりました。
私立は偏差値72の超進学校、公立は偏差値65の地元でも有名な進学校に両方受かり、経済的な面から公立に行くことにしました。
本気でやれば「おれって結構できるんだ」と、この時人生で初めて思いました。
高校生時代
学校にあまりなじめず、高校2年生の時は半分程しか学校に行ってませんでした。高校でも停学を2回くらっています。
サッカー部に入部しましたが、先輩にずっとため口で話していたのが理由で数か月でクビになりました。(バカだな~)
高校は進学校には珍しく単位制だったのでテストの点数さへ取れば単位を貰え、進級できました。
全体的に世の中をなめてる感がある高校生だったと思います。高校時代はほとんど勉強してませんでした。
強いていうなら、大学受験の10か月ほど前から受かるためだけに勉強したぐらいです。
中学生の時から洋楽や洋画が好きで、海外にとても興味がありました。
よく自分のことを海外かぶれと自称しています。
そのため、海外を一番身近に感じれるということもあり、関西外国語大学へ進学。
大阪市立大学を目指そうかとも思ったが、学校に行かず毎日バイクに乗って遊んでいたため、かなり学力が落ちていました。そのため、センター試験で高得点を取れる気がしなかったというのが諦めた理由です。
ここまで読んでいただければ分かると思いますが、あまり出来の良い子供ではなく、ルールや既成概念、何かの縛りなどがとても苦手で、それを無視して生きてきてたような気がします。今思えば無視はダメだったと思い、とても反省しています。
しかし、当時はなぜそんなことをしなくちゃいけないのかといったことがとても気になり、その理由に最適解をくれる大人は周りにいませんでした。自分で考えてももちろん分かりません。
誰もなぜという理由を理解できていないのだな~となんとなく子供ながらに感じていました。
大学生時代
大学1回生
1回生の時は大学の授業がおそろしくつまらなくて、すぐに飽きてしまいました。
大学まで2時間弱(大学は枚方市)まで通って、こんなことに時間を費やしているのかおれは。と思っていました。
自分で選んだ大学のくせに無責任ですが、学校の授業は単位さへ取れればそれで良いと思うようになっていました。
大学には海外からたくさん留学生がきていたので、授業を抜けだして外国人と片言の英語で話ししにいきました。
パツ金美女を見つけては、とにかくYou are too beautiful.と言いまくってました。
外国人の方と交流する中で海外の人はいろいろな人生観や考え方をしていることに気づきました。
それは個性もありましたが、宗教と哲学への向き合い方が日本とは全然違うことに気づきました。
皆とても個の考えを持ち、多様性を理解しているようにも感じました。
そして私も図書館へ行き、三大一神教やギリシャ神話、プラトン、アリストテレス、カント、ベンサム、などについての著書を片っ端から読んでいました。
他にも心理学に興味を持ち、アドラー、フロイト、ユングの名著なども熟読しました。
ちなみに「嫌われる勇気」アドラーの教え
これが私の人生NO1書籍です。
海外の人は皆自分の考えを持っている
⇒だから宗教や哲学を勉強する
といった行動はあまり理にかなっていないように感じますが、当時の私にとってはそれが本質的に理解するために大事だと勝手に思い込んでいました。
しかし、それらの哲学的心理的思考が今の僕を作っていると言っても過言ではありません。
そしてもう一つ熱中したことがあります。
それはお金を稼ぐということです。
私は高校生の時から15以上のアルバイトを経験し、最後はピザハットのデリバリーが一番長く続いていました。
数々のバイトを経験し、この仕事が単純に一番楽だったからです。
しかし、心の中では時給制のバイトはおかしいと思っていました。
なぜ個人の能力が違い、会社への貢献度は変わるのに報酬は皆同じなのかと。
そんなことを思い、大学ではピザハットを継続しながら、何か成果報酬型のバイトがないか探していました。
そんなとき、仲良くなった友達から居酒屋のキャッチのアルバイトを紹介してもらいました。
この仕事は個人事業主となり、居酒屋へお客様を案内することで、完全成果報酬型でお金がもらえるとう内容でした。
なんか大学生で個人事業主ってかっこよさそう、しかも、ずっと思っていたやればやるだけ稼げるという最高な環境!
私はとびつくようにその仕事を始めてみました。
この時なぜかは分からないですが、なんとなくおれはできる稼げると思い込んでいました。
おそらく中学生時代の経験で本気でやればなんとかなると思っていたんだと思います。
しかし、いざ初めてみると全く結果がでません。
そもそも、話ししたことない人にいきなり道で声をかけるという経験が全くなかったこともあり、たじたじしていました。
声をやっとかけれたと思っても、無視されたり、キレられたり、大変でした。
自分が渇望していた環境だったのに結果が出せず、ともて情けない気持ちでいました。
しかし、「おれは絶対に稼がないといけない」、「お金が欲しい」と心の底から思っていました。
この時、大学の図書館で一人コツコツ読んでいた心理学の本が役にたちました。
行動心理学や人間の本能やクセ、営業とは?、コミュニケーション術、といった分野に読書の範囲を広げて勉強しました。
私は基本的にはとりあえずやってみる⇒だいたい上手くいかないので、一旦やめる⇒なぜうまくいかないかを知識面から勉強する⇒そしてやってみるを繰り返すタイプです。
座学などの勉強はせず行動のみでPDCAを回す人もいますが、私はそういうタイプではありません。
知識を持っているだけである程度の無駄な失敗は回避できると思っているからです。
この時読んだ本で私の人生2番目の名著があります。
「影響力の武器」です。
営業とは本質的には自分の言うことを誰かに実行してもらうことです。
これが学べる本でこれ以上の名作はありません。
是非読んでみてください。
話しがそれましたがら、本を読んで勉強⇒行動⇒本を読んで勉強⇒行動を繰り返していくうちにだんだんと結果ででるようになっていました。
当時の私の生活は、10時~15時は地元の堺でデリバリーのバイト、速攻枚方に向かって17時から朝まで居酒屋のキャッチをして、始発で堺市に帰って実家で仮眠をとり、また10時からデリバリーのアルバイトというようなスタイルでした。
これが半年ほど続き、体力的にかなりきついな~と思っていました。
そしてある決心をしました。
それは、デリバリーのバイトをやめて、キャッチの仕事を一本にする、実家を出て枚方に住もうと考えました。
しかし親があまり裕福ではなかったので、援助はできないと言われていました。
それでもいくしかない!おれはもっと稼ぐ!
ということで、友達を誘って家賃40,200円の2LDKの団地でルームシェアをすることにしました。
居酒屋のキャッチ一本に絞ったことで、さらに業績が伸びて1か月で20万円前後を稼ぐようになり、多い月は30万円を越えていました。
当時関西では300人ほど同じグループで働いていたメンバーがいたのですが、その中で年間売り上げが2位で表彰されたことをきっかけに、キャッチだけでなく居酒屋の店舗へ直接営業に行き、売り上げのコンサルをするといった仕事も任せらるようになっていました。
そのため生活自体は金銭的に余裕になっていました。
この時友達にお金を貸しまくっていたので、スギサワBANKと言われていました。
大学の授業に出席しないとさすがに留年するだろうなと思い、最低限授業には出て、残りの時間はほぼキャッチ、休日は友達とワイワイみたいな生活を大学3年生まで続けました。
大学4年生
大学就活が解禁になりました。
これまでずっとキャッチの仕事に夢中で、学業や就活のことは全く考えていませんでした。
しかし、心の中で海外と携わる仕事がしたい、なんとなくでかい仕事がしたい、かっこ良い仕事、こんな風に思っていました。
なんだかんだで、自分には商社が向ているということを知り、有名な商社をかたっぱしから受けていました。
総合商社から専門商社まで。
そして、ご縁があった瀧定名古屋株式会社に入社しました。
ここまで学生時代の振り返りです。
もっと海外へたくさん行って放浪すればよかったなというのが唯一の後悔です。
今更遅いので、今からどんどん海外へ行きたいと思っています。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
